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ごあいさつ

はじめまして。
市川 猛(いちかわ たけし)と申します。

 

当院のホームページをご覧くださり、誠にありがとうございます。

 

「困っている人のために仕事をしたい!」

 

その思いが強く、前職を辞して整体の道に飛び込みました。

人生、辛いこと・楽しいこと、いろいろあると思います。

 

今は辛い症状で悩んでいても、再び健康を取り戻していただきたい。

 

当院の整体が、あなたの健康を全力でサポートいたします。

 

お客さまの目が輝き笑顔になった瞬間が、私の何よりの幸せです。

 

皆さまに愛される整体院を目指して、これからも精進して参ります。

さかい快福整体堂

院長   市川 猛

略歴

・阪和鳳自動車工業専門学校卒業

・自動車ディーラーにて10年間勤務

・営業職への異動をきっかけに退職

・梅田にある健康療術学院にて整体技術を習得

・整形外科、鍼灸整骨院、整体院で経験を積む

・2013年 堺市西区津久野町にて独立開院

取得資格・認定書

・推拿(すいな)療法師

・美手(ヴィッシュ)セラピストAライセンス

・パーフェクト整体認定整体師

・自律心体療法

・レイキヒーラー

・心理カウンセラー

整体で心がけていること

整体で心がけていることが2つあります。

 

一つは、お客さまの身体は自分の身体だと思って、痛みや不調を分かち合うことです。

 

そうすることによって、どこに解消ポイントがあるのか分かりやすく、早期快復を実現させていきます。

 


もう一つは、お客さまの話しをしっかりお聞きし、気持ちも楽になっていただくことです。

 

毎日が忙しく、がんばってこられた方の休息所として、心をこめてサポートさせていただきます。

一番うれしいこと

思うように快復せず申し訳ないと思っているお客さまが、それでもついてきてくださることです。

 

やがて症状が快復し、日常生活のうれしい状況をお聞きしている時は格別にうれしいです!

 

話されているお客さまの笑顔を見ると、整体の道に進んでよかったと心から思います^^

詳しい経歴

生年月日・血液型

1974年(昭和49年)3月16日生まれ うお座

血液型はAB型です。

趣味

・アメリカのスポーツをTV観戦すること

・音楽鑑賞(ジャズ・フュージョンが好きです)

・読書(医療・健康関係の本をよく読んでいます)

好きなもの

・妻が作ってくれるドリアが大好物です^^

・たこ焼き

 

・動物は、レッサーパンダが好きです。

 

・洋服は、アメリカンカジュアルを好んで着ています。

 

・浜寺公園、高石漁港、銭湯、昭和を感じさせる商店街など、ホッとできる場所が好きです。

 

・旅行先では、湯布院、宮島、四万十川、伊勢神宮、能登島、金沢ひがし茶屋街が好きです。

家族構成

・妻と娘の3人暮らし、堺市西区に住んでいます。

 

・妻は石川県出身で、福祉関係の仕事をしています。

 

・娘(平成30年生まれ)は活発で、よく笑います。

出生地

父親の実家がある住之江区、南大阪病院で誕生しました。

 

東加賀谷商店街や粉浜商店街に行くと、懐かしい気持ちになります。

 

誕生後、堺市で、父、母、兄、私、弟と5人で暮らしていました。

 

母が言うには、一番手のかからない子供だったようです。

浜寺小学校・浜寺東小学校

生徒数増加に伴い、家の近くに新しい学校ができたため、卒業までに2つの小学校に通っていました。

 

家に帰ってからは、近所のお兄ちゃん達によく遊んでもらいました。

  
 

小学生の頃の思い出は、下校中に段ボールに入れられた数匹の子猫を友だちと発見し、毎日ようすを見にいったことです。

 

私は、ある一匹を「ゼブラ」と名づけて可愛がりました。

 

そんなある日、母親に「家で猫を飼ってもいい?」と聞きましたが、いい返事ではなかったです。

 

今でもゼブラの顔や鳴き声を思い出すと、切ない気持ちになります。

浜寺中学校

私の学年で15クラス、2つ上の学年で16クラスもあるマンモス校でした。

 

2年生の運動会で、私はリレーの第三走者として走りました。

 

バトンを渡した瞬間ころんでしまいましたが、大声援のなか走るよろこびを感じました。

堺上高校

設立して間もない、堺上高校を受験し合格。

 

ピカピカの校舎で授業を受けていました。
 

高校ではクラブに入らず、1年生の頃からアルバイトをしていました。

 

はじめてアルバイトをしたのが、鳳大社近くに今でもあるホカホカ弁当屋さんです。

 

他にも、花の博覧会・近鉄百貨店のビアホール・工場でアルバイトをしてきました。

 

この頃、一番熱中していた趣味は、自動車レースF1グランプリです。

阪和鳳自動車工業専門学校

1992年、F1が好きというだけの理由で、自動車整備の専門学校に入学しました。

 

周りの生徒は、すでに自動車に乗っていたり簡単な整備をしたり、親が整備工場を営んでいたりする。

 

それくらい、自動車の構造に興味がある人達でした。

 

一方、私はF1が好きなくらいでしたから、場違いな学校に来たかもしれないと内心焦りました。

 

実際、実習では何をどうしたらいいのか分からず、学校にいくことが嫌だった時期がありました。

  
 

そんな私ですが、座学はできる方で、約120名中6名しか合格しなかった第一回卒業試験に合格。

 

自動車整備士の国家試験も2つ合格し、地元の自動車販売会社に就職することができました。

トヨタオート南海株式会社

1994年 専門学校を卒業後、トヨタオート南海株式会社(現ネッツトヨタ南海)に就職しました。

 

 

1年目は洗車、オイル交換やタイヤ交換などの軽整備、先輩の補助が主な仕事でした。

 

入社2年目に車検を通す国家試験に合格し、車検業務に携わることになりました。

 

本来、国の仕事を代わりに行うため、定期的・抜き打ち含めて国の監査が入ります。

 

毎回とても緊張しましたが、真面目で几帳面な性格のおかげで問題なくおわりました。

サービスアドバイザー

入社4年目に、整備の受付業務であるサービスアドバイザーに異動となりました。

 

アルバイト時代を含めて、一番避けていた接客業です。

 

それでも、直属の上司に恵まれ、仲のいい営業マンと出会えて、お客さまに少しづつ認められると、接客業が楽しく思えるようになりました。

  
 

ディーラーには、担当がついていないお客さまが整備に来られます。

 

私はこのようなお客さまを、サポートしてきました。

 

後の退職時のあいさつ回りで、多くの方から労いの言葉をかけてくださったのは、とてもうれしかったです。

自らの病気

気を使い、がんばり過ぎた影響で、私は自律神経失調症や不安神経症を患いました。

 

整備関係の仕事は嫌いではなかっただけに、自分の身体をコントロールできないもどかしさを常に感じていました。

 

この頃、病院や整骨院によく通っていたのもあり、「人を治療する」仕事に興味を持っていました。

 

自らの病気が今の仕事につながるとは、人生何が起きるのか分からないものですね。

整体の道へ

忘れもしない29歳の年末、営業職への異動を命じられました。

 

先輩方を見て、いずれ営業職になるんだろうとは思っていました。

 

しかし、29歳では早すぎました。

 

アドバイザー職を長年経験すると、整備に来られるお客さまは不安や心配、予期していない出費へのいらだち、時には怒りの感情があることがよく分かります。

 

一方、新車を検討されるお客さまは、新車のワクワク感、家族が増えたことによる乗り換え、車検を機に乗り換え、このように前向きな気持ちの方が多いです。

 

 

私からすれば、同じ自動車関係でも、職種的には転職するようなものです。

 

困っている人のために役立ちたい気持ちが強いこと、そして年齢的にもチャレンジしやすいことが決め手となり、約10年勤めた会社を退職することにしました。

前職の思い出

全国から名古屋に集結する、トヨタ技術検定1級の試験。

 

私が在籍していた会社からは、約30名試験に挑みました。

 

前述したように私は車検を通す仕事をしていた時期であり、たくさん整備をしていた訳ではありません。

 

それでも、自社全体で1位の成績を納め合格、この年の年間優秀社員賞に選ばれました。

 

 

本部の課長から電話で、「市川 お前よくやったな!文句なしの優秀社員賞や!」と言われた時は、すごくうれしかったです。

独立開院

修行時代を経て、2013年4月8日、慣れ親しんできた堺市西区で独立開院しました。

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