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はじめまして、市川 猛(いちかわ たけし)です。

 

このレポートは、パニック障害でお悩みの方に向けて、

私の体験が参考になればと思い書かせていただきました。

 

正直な話し、インターネット上でつらい経験を

書くことに対して、はじめは気がすすみませんでした。

 

でも、あるパニック障害の患者様から、

 

「先生がパニック障害を克服された話しのおかげで

私も先生のように元気になる希望がでてきました、

きっと他の方も同じ気持ちだと思いますよ。」

 

と仰ってくださったことがきっかけになり、

 

「多くの方にどう思わたってもいい、

私の体験談を読んでいただき参考になったと

思ってくださる方がいればそれでいいじゃないか。」

 

そう思うようになり、この度公開しようと思った次第です。

 

拙い文章ではありますが、

少しでも参考になったと思ってくだされば幸いです。

 

内気な性格が将来に響くとは

私は3人兄弟の次男として、

大阪府の堺市で育ちました。

 

3人兄弟でよくある話しに、

長男は期待され育ち三男は甘え上手。

 

次男である私は、知らず知らずの内に

周りに気を遣い、場の空気を読むようになりました。

 

後に知ることになりますが、

自分の感情を抑え込み

言いたいことを言えない性格になっていたのです。

 

それでも3人兄弟を育ててくれた母と

一生懸命家族のために働いてくれた父には

今でも感謝しきれません。

 

友達との関わり方は、

気心しれた友達(2~3人)と遊ぶことは好きな反面、

友達が別の友達を呼んで大人数で遊ぶことがとても苦手でした。

 

なぜ、そうなったんだろうと振り返えってみると、

友だちの些細な言葉で傷つくメンタルだったこと。

 

あと、大阪で生まれ育ちながら

なぜか大阪らしい冗談に違和感を感じることが多く

一緒にいると窮屈だったからです。

 

そんな私ではありますが、高校を卒業し、

当時興味を持っていた自動車に関わる仕事をしたいと思い、

自動車整備士を養成する専門学校に進学しました。

 

ですが元々の内気な性格が災いし、

専門学校では友達を全く作れず

休憩時間はいつも一人で過ごしていました。

 

昼ごはんも一人で食べにいき、

実習で組むパートナーも最後まで残るくらい

周りに馴染むことができません。

 

東京モーターショーがメインだった修学旅行も

基本一人で行動するという

なんとも寂しい2年間を過ごしていたのです....

 

そんな状況の中でも、

両親にお願いして学んでいる手前

授業を欠席することなく2つの国家試験に合格し、

地元の自動車販売会社に就職することができました。

 

理想と現実の狭間

 

整備士としての主な仕事は、

 

■ オイル交換・タイヤ交換などの軽整備

■ エンジン不調・異音・電気系統などのトラブル修理

■ クラッチ交換・エンジン脱着などの重整備

■ 定期点検・車検整備

■ カー用品の取り付け作業

■ リコール作業・出張整備

 

などを行っていました。

 

入社2年目には、国に変わって車検を通す

「自動車検査員」という国家試験に合格し、

整備から車検を通す仕事に携わりました。

 

入社4年目になると、

自動車検査員と兼任で

サービスアドバイザーという

整備の受付業務に異動となりました。

 

ここでの主な仕事は、整備で来られる方の接客や、

修理内容の見積もり・部品の発注などを行っていました。

  

ですが、以前からの内気な性格が変わる訳ではなく、

今振り返ってみるとサービスアドバイザーの仕事は

私にとってストレスの温床だったのです。

 

ここで例をあげてみようと思います。

 

・営業と整備との意見の食い違いの仲裁

・苦情全般の対応

・リコールの問い合わせ(順番・代車など)

・無理難題を要求するクレーム処理

・交通事故対応(物損)

・違法改造車両の入庫禁止告知

・本部からの過酷な業績ノルマ

 

こう書くと、

それほどたいしたことでは

ないと思っているかも知れません。

  

ではもうこの際、思い切って

書いてみようと思います(笑)

 

・自動車損害保険金詐欺への加担(もちろん断りました)

・3人に囲まれて罵詈雑言を浴びせられる

・陰湿な根回しをしてくるクレーマー対応

・支店で起きたクレーム対応(本店勤務だったため)

・反社会勢力の恫喝

・「殺すぞ!」と言われたこともありました

    

それでも、いいお客様にも恵まれ

納車の時によろこんでいただいたり

労いの言葉をかけてくださったことは励みになりました。

 

年次を重ねながら、入社9年目の冬に

人生の転機を迎えることになりました。

 

私は、年末の人事異動で

営業職に異動を命じられたのです。

 

「え!まさか自分が営業?」

 

上司の説明では、

整備が詳しい営業を育てる本部の意向に

適しているからという理由でした。

 

でも、学生の頃から、

「定年を迎えるまで整備士として働くんだ」と思っていただけに

新車の販売は畑違いの職種だと常に思っていました。

 

この想いを覆す理由がないがゆえに

お客様には申し訳なかったですが、

翌年の1月に退職を決断しました。

 

当時の心境は、

 

・整備サイドで職務を全うすることができなかった

・心身がかなり疲れていたためラクになりたかった

 

このように悔しい気持ちと、

どこか安心している気持ちが

入り混じった心境でした。

 

これより先は、

家族や親友も知らない病気遍歴を綴ろうと思います。

 

ドクターショッピングの人生

 

二十歳で就職してから、

はじめて体の症状として悩んだ箇所は首の痛みでした。

 

体の仕組みを学んだ今だからこそ

その原因が書類を作成する

自動車検査員の仕事内容が多かった頃、

姿勢が悪く筆圧が強かったからだと分ります。

 

特に左の首筋に激しい痛みを感じ、

首をもんだり健康グッズで押したりしながら、

毎日を過ごしていました。

 

しかし自分ではどうにもならない状態に陥り、

整骨院やマッサージに通うことになりました。

 

それでも、首の痛みはなかなか改善せず、

「もう首の筋肉を取って欲しい!」

とさえ思ってしまうくらい

毎日つらかった記憶が残っています。

 

そんな中、サービスアドバイザーとしての責任も年々増して

無意識にプレッシャーを感じていたのでしょう。

 

やがて、不眠症になりました。

 

さらに追い打ちをかけるように、

胃腸の不調・動悸・体がフワフワする

喉が詰まる・ふらつき・頭重感など

周期的に体調不調が入れ替わりました。

 

それぞれの医療機関を受診しても、

「特に異常はないですよ、安心してくださいね」

「とりあえず薬でようすを見てみましょう」

このような説明を受けるばかりでした。

 

私は「症状として出ているのに、なぜ原因が分からないんだ!」

と病院に不信感を抱くようになりました。

 

それでも、病気は病院で治してもらえるという意識が強く

「もっと治せるお医者さんがいるだろう」と思い、

違う病院を探すことにしました。

 

当時は、今のようにインターネットの環境が整っておらず、

タウンページを見て隣街の病院や電車で1時間以上かけて

確かなお医者さんを追い求め、診察を受けにいきました。

 

しかし、それでも診察の結果は、「原因不明」「異常無し」

「とりあえずお薬をだしておきます」という説明だったのです。

 

病院への不信感がさらに強まり、今度は

鍼灸・カイロプラクテック・気功・ヒプノセラピーなどで

症状を治そうと思い、治療(施術)を受けにいきました。

 

ですが、それらの施術でも

症状はなかなか改善せず、

施術者への責任転換と選んだ自分を

責める日々を過ごしていました。

 

こうなってくると

一体自分の身体に何が起きているのか分らなくなり、

今でこそ敷居が低くなった心療内科の受診を自ら選択し

「自律神経失調症」と診断を受けました。

 

「あぁ、そうだったのか...」

 

原因不明よりも、

自律神経失調症と診断されたことによって

もう違う病院を探さなくてもいいと安堵し、

投薬治療を受けることになったのです。

   

心臓発作で死ぬかと思いました

 

ある症状が治ったと思う時期もあれば

また違う症状が表れる時期もありました。

 

実は、これが自律神経失調症の特徴です。

 

職場には自律神経失調症であることを

隠して仕事をしていたため、

仕事に対する要求も経験に応じて求められてきました。

 

『自動車は走る鉄の塊』です。

 

・ 急に愛車がコントロールを失った時

・ 旅先でエンジンがかからなかった時

・ 交通事故に出くわした時

 

ほとんどの方が強い恐怖心や怒りの感情を表します。

 

大手自動車メーカーの看板を掲げる

サービスアドバイザーとして

さまざまなお客様に接してきた私でも、

 

さすがに強い感情をぶつけられると

ストレスがかなりたまりました。

 

私の性格上、何か言われたとしても

すぐ返せるように先を見越して考える癖があり、

この癖の影響で考えごとは尽きず

休みの日でも仕事のことを考える日が多かったです。

 

そんなある日の休日、

車で映画館から帰っている途中、

大きな橋の手前で渋滞が発生していました。

 

いつもなら、特に気にすることなく

渋滞を乗り切れていたはずなのですが、

なぜかこの日は手足に汗をかきはじめ

胸が急に苦しくなり、やがて呼吸が困難に....

 

しばらくすると、

「これは心臓発作か!」と思ったくらい

強烈な胸の痛みと恐怖心が私に襲いかかってきました。

 

偶然近くに消防署を見つけ、

病院に搬送され点滴を受けたことで

落ち着きを取り戻しましたが、

担当医によると臓器には問題ないとのことでした。

 

「では、一体何が原因なのか?」

 

翌日、通院していた心療内科で診察を受けると、

「パニック障害」だと診断されました。

 

そうなんです。

 

私は自律神経失調症とパニック障害を

同時期に患ってしまったのです。

 

それまでの薬に加え、

抗不安剤や発作時の頓服が追加され、

数ヶ月治療が続きました。

 

が、しかし...

 

・ 近所でしか車の運転ができない

・ 車で高架を走るとき呼吸が乱れる

・ 快速(急行)電車に乗れない

・ エレベーターに乗れない

・10分カットの散髪屋でも呼吸が乱れる

・ ショッピングモールに行くとふらつく

・ 無性に喉が渇く

 

という状況でした。

 

この時の心境を表すなら、

 

「なぜ、薬を飲んでるのに一向に治らないんだろう?」

「この先ずっとパニック障害と付き合わないといけないのか?」

「健康な人が羨ましい、どうせ自分は....」

 

と、毎日そんなことばかり思っていました。

 

それでも、

病気は病院で治してもらえると

この時でもかすかに期待していた私は、

 

「もっと治せるお医者さんがいるだろう」

と考え別の病院を探すことになりました。

 

そんな私の治したい気持ちを

一瞬で消し去る言葉を、

ある病院の医師から言われました。

 

「今の仕事が向いていないんじゃないの?」

 

この言葉で、

病院に対する期待を完全に失い、

私は怒りを覚えました。

 

帰宅した夜に今まで受診した診察券を数えてみると、

なんと軽く50枚を越えているではありませんか!

 

そこで私は極端なドクターショッピング

をしていることに気づきました。

 

※ドクターショッピングとは、

患者がよりよい治療を求めて

いろいろな医療機関を渡り歩くことです

 

さすがにこのままではいけないと思い、

西洋医学に見切りをつけ、今度は、

鍼灸・カイロプラクティック・気功・ヒプノセラピーなどで

症状の改善を目指していきました。

 

でも、やっぱり私の症状は治りません。

 

中には「パニック障害の97%の方が効果を実感!」

という宣伝文句の鍼灸整骨院に通い、

「私は3%の人間だったんだ」と落胆したことがございます。

 

わらをもすがる思いで1回3万円の気功を受け、

お金をドブに捨ててしまったような罪悪感と

期待した自分が情けなく思ったこともございます。

 

今なら私の自律神経失調症や

パニック障害が治らなかった理由がよく分ります。

 

でも、本当に苦しかったあの頃は、

医師や薬・カウンセラー・鍼灸師などにしか頼ることができず、

 

「自分と向き合う」

「もっとしっかり治療院を選ぶ」

 

このような考えを全く持っていなかったのです。

 

もし、今の私があの頃の自分に会いにいけるのなら....

 

今でもそう思う時があります。

 

人生の転機はイメージ力

 

もうあきらめようか?

もう1回頑張ってみようか。

 

このように気持ちが揺れうごく中、ふと思ったのは、

「自分が元気になったら誰がよろこんでくれるだろうか?」

という問いかけでした。

 

その時浮かんだのが、両親の顔でした。

 

「あぁそうだよな、まずは両親を安心させようじゃないか」

 

それから次々とイメージをしていきました。

 

・ 未来のお嫁さん

・ まだ見ぬ子供たち

・ ペットたち

 

なんだろうこの感じ....

涙があふれてくるではありませんか....

 

そして、私は決意をしました。

 

このままではいけない

もう1回がんばろうと一念発起!

 

数日後に訪れた街の図書館で、私は引き込まれるように

「自己啓発」と「人生哲学」の棚の前に立っていました。

 

このようなジャンルの本は今まで読んだことがなく

気になるタイトルの本を手に取り借りることにしました。

 

それまで50件以上の病院を駆け巡り

たくさんつらい想いをしてきたからこそ、

私にとってこれらの本は心のサプリメントになりました。

 

それこそ、ひとつの図書館では物足らず

数カ所の図書館に通い、数えきれない本を読みました。

 

その中でも、特に私の心を強く揺さぶった本は、

小林 正観さんの「日々の暮らしを楽にする」という本でした。

 

そこにはタイトル通りの楽になる考え方が書かれ、

本当の意味で理解するまで何度も読み返しました。

 

そこで気づいたことが、

 

今までの私は、医師・薬・心理カウンセラー・鍼灸の先生など、

パニック障害を克服するための答えを「外」ばかりに求めていたということ。

 

そしてもう一つ、自分の「内」に向き合わないと

治るものも治らないんだと、そこに気づいたのです。

 

そこで、

 

・ 自分が伝えたい気持ちを伝えていこう

・ 物事のとらえ方をプラスにとらえよう

・ 他人の意見に左右されず自分で決めよう

・ もっと 自分を好きになろう

・ 周りにもっと感謝しよう

 

このように改心し行動した結果、

自律神経失調症の症状が劇的に改善され、

パニック障害も回復に向かっていったのです。

 

ですが、この時点では

まだパニック障害を克服したとは

いいきれません。

 

気づきを行動に移す「環境」の力

 

結論からいいますと、「環境」のおかげで

パニック障害を克服することができました。

 

ここでいう環境とは、

パニック障害の方・うつ病の方・適応障害の方

摂食障害の方・不眠症の方・発達障害の方など、

 

「同じようにつらい経験をしている仲間と深く話せる環境」

のことです。

 

この環境に、否定をしてくる人や

余計なアドバイスをしてくる人は存在しません。

 

なぜなら、

それらが相手を苦しめることを

身をもって体感しているからです。

 

この環境を活かして、私は

 

・車を運転して遠くにでかける

・急行(快速)に乗る

・人が多い場所にでかける

・知らない場所にでかける

・友だちに会いにいく

・1日1つよかった探しをする

・何事にも感謝の気持ちを持つ

・不安を助長させる情報を遮断する

・自分を好きになる

・仲間の話に耳を傾ける

 

というようなことを実践しつづけ、

行き詰った際には仲間に話を聞いてもらいました。

 

でも、ここだけの話し、

10年以上パニック障害を患っていただけに、

決してスムーズに克服できた訳ではございません。

 

車を運転中、呼吸が乱れることは何回もありました。

 

電車で堺市から天王寺や新大阪に行くまでに、

何度も途中下車して休憩したこともございます。

 

人間ドックを受ける際、

「怖くなった場合どうすればいいですか?」

と受付の方に聞いたこともございます。

 

10分カットの散髪屋さんで

逃げ出したくなる時もありました。

 

それでも、どん底を経験したからには

這い上がるしかない気持ちは持ちつづけ、

思考錯誤を繰り返し仲間に支えられながら

一歩一歩確実に前進していきました。

 

今では新幹線に乗って東京まで

日帰りでいくことができます。

 

狭い空間も平気になりました。

たくさん人が集まる施設も平気です。

 

散髪屋さんも平気です。

 

何より自信がついたのは、

パニック発作を起こした

道路まで車を運転して訪れたことです。

 

「ここを克服できたら自分はもうパニック障害ではない!」

 

そう決めて取り組んでいました。

 

もしかすると、あなた一人では

以前の私のようにくじけてしまうかもしれません。

 

でも、大丈夫。

 

あなたが本当によくなりたい!

 

そう思って一歩を踏み出したのなら、

よろこんでそのお手伝いをさせていただきます。

 

世界にどんな影響を与えたいのか?

 

今の日本は、

精神的な負担が大きく作用され

どこか息苦しく感じています。

 

・ 世界から見た日本

・ 日本からみた世界

 

せっかく紛争や拳銃の乱用とかがない

比較的平和な日本に生まれたのだから、

 

自分の魅力を発見し、とことん好きになると、

 

自分らしい人生を歩むことができてきます。

 

そのために、私が心がけていることは、

 

・ おもいやりの気持ち

・ やさしい言葉がけや行動

・ 自分の話より先に相手の話を聞く

・ ギブ&テイクではなくギブ&ギブ

 

あと、「この人のいい所ってどこだろう?」

という視点を持った方がどんどん増えれば、

世の中がさらに平和になると信じています。

 

この信念を実現するために、

日々精進してまいります。

 

ありがとう感謝のこころ忘れずに

 

略歴

パニック障害克服プログラム

BMリンクセラピー

 

講師:市川 猛(いちかわ たけし)

 

自動車整備士を養成する専門学校を卒業後

二十歳でトヨタオート南海株式会社に就職。 

 

整備士・自動車検査員・サービスアドバイザーの業務に携わり、

入社9年目に営業職への異動を命じられたのを期に退職。

 

退職後、自らの病気を治したい気持ちが

強く整体の道に進みさまざまな研修会に参加し、

整形外科・整骨院・整体院で施術に努める。

 

平成25年、整体と心理カウンセリングを融合させた

からだとこころの支援センター さかい快福整体堂を開院。

 

独自の施術方針が地域の方に浸透し、

3年連続地域NO.1の評価を

業界最大手の口コミサイトから認定を受ける。

 

気質的に純粋な心の持ち主で人情家、

目の前のことに全力投球をする。

 

繊細な部分と開放的な部分を併せ持ち、

とっさの状況判断に長けている。

 

男性ながら女性らしい考え方ができていることにも定評がある。