今ご覧くださっているページは、過去に私が経験した病いとその経緯について書かせていただきました。
つたない文章ではありますが、何かの参考になればうれしく思います。
ぜひさいごまでごゆっくりお読みくださいませ。
原因不明の体調不良に悩まされる

私は二十歳で自動車販売会社に自動車整備士として就職をしました。
狭いエンジンルームをのぞき込む修理や車の下にもぐって作業をする。
そんな無理な体勢が影響したのでしょう。
はじめて体の不調で悩んだのは首の痛みでした。
特に左の首に激しい痛みを感じ、首をもんだり健康グッズで押したりしながら毎日を過ごしていました。
やがて自分ではどうにもならなくなり整骨院やマッサージに通いました。

しかしながらプロの方にお願いしても、首の痛みはよくなりません。
「もう首の筋肉を取って欲しい!」とさえ思ってしまうくらい、毎日つらかった記憶が残っています。
入社4年目をむかえると、整備士から修理の受付業務であるサービスアドバイザー職に異動となりました。
年々責任も増したことで無意識にストレスがたまっていたのでしょう。
ある時期から毎日深夜の2時頃に目が覚めて、そこからしばらく眠れない日々が6ヶ月以上も続きとても困りました。
さらに追い打ちをかけるように、胃腸の不調・動悸・体がフワフワする・喉が詰まる・ふらつき・頭重感など、どんどん体の調子が悪くなっていきました。
それぞれの体の不調に対して適切だと思う医療機関を受診しても、「特に異常はないですよ、安心してくださいね。」「とりあえず薬でようすを見てみましょう」このような説明を受けるばかりでした。
お恥ずかしい話し、「体の不調として出ているのに、なぜ原因が分からないんだよ。」と病院に不信感を抱くようになったのです。

それでもまだ病気は病院で治してもらえるという認識が強く、「治してくれるお医者さんが必ずいるはずだ」と違う病院を探すことにしました。
当時は今のようにインターネットの環境は整っていません。
タウンページを見て隣街の病院や電車で1時間以上かけて確かなお医者さんを追い求め診察を受けにいきました。
それでも診察結果は、
・ 原因不明
・ 異常無し
・ とりあえずお薬をだしておきます
そういう説明だったのです。
まさか自分が自律神経失調症?

明らかに体の調子はわるい、けど原因は分からず。
当時の思いとしては、
「自分の体が自分のものではない感覚」
「自分の体なのにコントロールできないもどかしさ」
「怖い病気が潜んでいるかもしれない」
なんとかしなくてはという焦りと、この先いったいどうなるのかという不安な気持ちでいっぱいでした。
もうこれは病院(西洋医学)では治らないかもしれないと思うようになり、鍼灸・整体・カイロプラクテック・気功・ヒプノセラピーなど、東洋医学や民間療法で体の不調を治そうと思い施術を受けにいきました。
ですが、それらの施術でも私の体の不調はよくなりません。
一体自分の体に何が起きているのか分らなくなり、受診の抵抗があった心療内科を自らの意思で訪れて、「自律神経失調症」と診断を受けました。

「あぁ、そうだったのか…」
原因不明といわれることよりも、自律神経失調症と診断されたことによって「もう病院を探さなくてもいい」と安堵したのが正直なところです。
先生の説明によれば、ある不調がよくなれば違う不調が表れる。
これは自律神経失調症ならではの特徴のようでした。
職場には自律神経失調症であることを隠して仕事をしていたため、仕事に対する要求も経験に応じて求められてきました。
その後パニック障害を患う

ある日の休日、一人で映画を見ようと思い車で映画館へ向かいました。
ただ鑑賞した映画が緊迫した内容で、途中で気分が悪くなり家に帰ろうと思いました。
映画館から車で帰っている途中、大きな橋の手前で渋滞が発生していました。
いつもなら特に気にすることなく渋滞を乗りきれていたのですが、なぜかこの日は手足に汗をかきはじめ胸が苦しくなり、やがて呼吸が困難に….
しばらくすると、「これは心臓発作か!」と思ったくらい強烈な胸の痛みと恐怖心が襲いかかってきました。

なんとか渋滞を抜けたあと、路肩に車を止めて休憩しても状況は変わらず。
さすがにこのままでは危ないと命の危険を感じました。
偶然近くに消防署を見つけ、病院まで搬送してもらい点滴を受けたことで落ち着きを取り戻しました。
担当医によると臓器には問題ないとのことでした。
「では、一体何が原因なのか?」
翌日、通院している心療内科で診察を受けるとパニック障害と診断されました。
そうなんです。
私は自律神経失調症とパニック障害を同時期に患ってしまったのです。
ドクターショッピング人生

自律神経失調症の薬に加えて、抗不安剤や発作時の頓服が追加され数ヶ月治療がつづきました。
しかし、
・ 近所でしか車の運転ができない
・ 急行電車に乗れない
・ エレベーターに乗れない
・ 10分カットの散髪屋でも呼吸が乱れる
・ ショッピングモールに行くとふらつく
このような状況がつづき大変困りました。
この時の心境を表すのなら、
「なぜ薬を飲んでるのに一向に治らないんだろうか?」
「この先ずっと心の病と付き合わないといけないのか?」
「家族や職場のみんなに迷惑をかけてしまっている」
毎日そんなことばかり思っていました。
焦る気持ちと早く治したい私は、「もっと腕のいいお医者さんがいるだろう」と考えて別の病院を探すことにしました。
そんな私の思いを一瞬で消し去る言葉を、ある病院の医師から言われました。

「仕事が向いていないんじゃないの?」
今なら悪気があっての言葉ではなく、私のために言ってくれていると思うのですが、当時はショックを受けましたし怒りの感情も正直ございました。
自宅に帰って何気なしに今まで受診した診察券を数えてみると、軽く50枚を越えているではありませんか。
そこで、ようやく私はドクターショッピングをしていることに気づいたのです。
※ドクターショッピングとは、患者がよりよい治療を求めていろいろな医療機関を渡り歩くことです。
なぜ治らないんだろう?

今回も病院(西洋医学)に見切りをつけた私は、鍼灸・カイロプラクティック気功・ヒプノセラピーなど東洋医学や民間療法で自律神経失調症やパニック障害の完治を目指すことにしました。
でも、思ったようには治りません。
中には、「パニック障害の97%の方が効果を実感!」という宣伝文句の鍼灸整骨院に通い、「私は3%の人間だったんだ」と落胆したこともあります。
わらをもすがる思いで1回3万円もする気功を受けて、お金をドブに捨ててしまったような罪悪感と期待をした自分が情けなく思ったこともあります。
この頃が一番、「なぜ、治らないんだろう?」と悩む日々が多かったです。
健康へのきっかけはイメージの力

もう健康になることをあきらめようか?
いや、やっぱりもう1回頑張ってみようか?
このように気持ちが揺れうごく中、ある日ふと思ったのは、「自分が元気になったら誰がよろこんでくれるだろうか?」という問いかけでした。
その時に浮かんだのは、まず両親の顔でした。
「あぁそうだよな、まずは両親を安心させようじゃないか。」
それから次々とイメージをしていきました。
「自分が元気になったら誰がよろこんでくれるだろうか?」
すると、
・ 未来のお嫁さん
・ まだ見ぬ子供たち
・ ペットたち
なんだろうこの感じ…
涙があふれてくるではありませんか。
そして私は決意をしました。
やっぱりこのままではいけない!もう1回がんばろう!
学校では教えてもらえない場所に通う

数日後に訪れた図書館で、私は引き込まれるように「自己啓発」や「人生哲学」の本棚の前に立っていました。
今までこのようなジャンルは読んだことがなく、気になるタイトルの本を手に取り借りることにしました。
これまで50件以上の病院を駆け巡り、たくさんつらい経験をしてきたからこそ私にとってこれらの本は心のサプリメントになりました。
それこそひとつの図書館では物足らず、数カ所の図書館に通い数えきれない本を読みました。
そうして気づいたことは、今までの私は医師・薬・心理カウンセラー・鍼灸の先生など、自律神経失調症やパニック障害を克服するための答えを「外」に求めていたこと。
自分の「内」に向き合わないと治るものも治らないんだと気づいたのです。
もし今の自分があの頃の自分に会いにいけるのなら….もっと早く健康になっていたでしょう。
でもその経験があったことで、困っている方の気持ちがよく分るのかな?とも思っています。
数百冊を超える書籍から学び取り組んだことは、
・ 自分が伝えたい気持ちを伝えていこう
・ 物事のとらえ方をプラスにとらえよう
・ 他人の意見に左右されず自分らしく過ごそう
・ 今よりも自分を好きになろう
・ 今よりも誰かのお役にたとう
・ 周りにもっと感謝しよう

このように意識改革し行動をした結果、自律神経失調症が劇的に改善しパニック障害も回復に向かっていったのです。
ですが、この時点ではまだパニック障害を克服したとはいいきれません。
パニック障害克服ストーリー

結論からいいますと、「環境」のおかげでパニック障害を克服することができました。
ここでいう環境とは、安心できる環境であり人と安心して繋がれる場のことです。
その環境とパニック障害の克服ストーリーについて書かせていただきますね。
とある整体の技術研修会で出会った先生方は、誰しもが否定をしてきたり余計なアドバイスはしませんでした。
具体的には、私が
・医療に対するネガティブな感情
・自分を責めてしまう言葉
・健康な人を妬む気持ち
・生きづらさ
このような話しをしたとしても、
「市川さんは市川さんのままでいいんですよ」
「色々大変だったんですね」
「そういう事を言われたら僕でも嫌な気分になりますよ」
というように私の話しを丸ごと受け止めてくれたのです。

「こ…この方たちの優しさはどこから…」
なぜ私の話しを全て受けいれてくれるんだろうと、一番気にかけてくださる先生に聞いてみると、みんなが似たようなつらい経験をしていたからでした。
その時、私の気持ちがスーと楽になりました。
「自分だけではなかったんだ」と。
この恵まれた環境を活かして、
・車を運転して遠くにでかける
・急行(快速)に乗る
・人が多い場所にでかける
このようなことを繰り返し、行き詰った際には仲間に話しを聞いてもらいました。
ただ10年以上もパニック障害を患っていただけに、決してスムーズに克服できた訳ではありません。
車を運転中、呼吸が乱れることは何回もありました。
電車で堺市から難波や新大阪に行くまでに、何度も途中下車したこともございます。
人間ドックを受ける際に、「怖くなった場合どうすればいいですか?」と受付の方に聞いたこともありました。
10分カットの散髪屋さんでさえ、途中で逃げ出したくなります。
それでも、どん底を経験したからには這い上がる気持ちだけは持ちつづけていました。
健康を取り戻している実感!

こうして思考錯誤を繰り返しながら、時には仲間に支えられながら一つ一つ成功体験を積んでいったのです。
すると、
狭い空間にいることが平気になりました。
たくさん人が集まる施設も平気になりました。
散髪屋さんも平気になりました。
急行や快速電車にも乗れるようになりました。
電車が運行中に止まっても冷静に待つことができるようになりました。
新幹線に乗って東京まで日帰りでいくこともできるようになりました。
何より一番自信がついたのは、パニック発作を起こした道路まで車を運転して訪れたことです。
「この道を克服できたら自分はもうパニック障害ではない!」
そう決めて取り組んでいました。
自律神経失調症やパニック障害など、いわゆる心の病を患って思うことは、それまで当たり前の日常や健康が当たり前ではなくなったこと。
先の光が見えないトンネルの中をマラソンしているように、不安と焦る気持ちが大きかったです。
幸い信頼できる仲間との出会いをきっかけに健康を取り戻すことができました。
仲間が私にしてくださったように、今度は私が同じように困っていらっしゃる方の手助けをする。
覚悟と責任をもって。
そう決めました。
おわりに

思いかえせば、自動車販売会社を退職し今の仕事に転職をしたあの頃から、「体の不調だけではなく、心の悩みでお困りの方にも手助けをしたい。」
「心の悩みを解消することで心療内科に通う方をへらしたい。」
そういう強い理想を思い描いていました。
あれから16年が経った今でもこの理想は変わっていません。
これからも自分が生きている証として、一人でも多くの方の支えとなる存在でいられるように精進してまいります。
大変長い文章をさいごまで読んでくださってありがとうございました。
さかい快福整体堂
院長 市川 猛